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新近江名所図会

新近江名所圖會 第253回 聖武天皇のお宿 大発見⁉ 膳所(ぜぜ)城下町遺跡

大津市

今年の夏の「土用の丑の日」は、7月25日(火)と8月6日(日)の2日だそうです。この日に食べるものとして知られているのが、ウナギですよね。どうしてウナギなのかは諸説あるようですが、平賀源内が旬でない夏の時期に売れるように、「う」がつく食べ物を食べると夏バテしないという風習にちなんで、鰻屋の店先に土用の日を案内するようにしたことが由来のひとつとか。
鰻を焼く時の食欲をそそるとってもいい匂い、そんな匂いを嗅ぎながら調査をしていたのが膳所城下町遺跡で、滋賀県立膳所高等学校の新校舎建築工事に伴って平成14年に行いました。この調査の思い出は、近くのお店から漂ういい匂いだけではありません。めったにない大発見を味わえたことです。
それは、奈良時代前半に建てられた非常に大きな掘立柱建物です。建物の床面積は約247.5㎡で、坪数で示すと約75坪もの広さがあります。柱間の数から東西7間(20.8m)、南北4間(11.9m)と呼ばれる規模のもので、東西に8本、南北に5本の柱が並びます。また、北側と南側の長辺は柱列が二重に並び、庇と呼ばれる空間が2カ所に設けられた二面庇(ひさし)建物という構造をしています。

大型掘建柱建物
膳所高校地下に保存された奈良時代の大型掘立柱建物(財団法人滋賀県文化財保護協会・滋賀県立安土城考古博物館・滋賀県立琵琶湖文化館「聖武天皇とその時代―天平文化と近江―」財団法人滋賀県文化財保護協会設立35周年記念展2005より転載)

柱を据えるために掘られた穴は、上から見ると概ね一辺1.6mの方形のもので、そこには直径約40㎝もある太い柱が据えられていた痕跡が確認できました。柱は一直線に並ぶように建てられ、柱間も約2.97m(10尺)の等しい距離があることから、高い建築技術によって建てられたことを示しています。
このような規模や構造などから、非常に格式の高い建物といえるものです。同様の建物は、宮殿や平城京にある役所もしくは貴族の邸宅の主要な建物として使用されており、特別な建物といえるものです。
では、この建物は何に使用されていた建物なのでしょうか。もっとも有力な候補として考えられたのが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記されている禾津頓宮(あわづとんぐう)です。天平十二年(740年)十二月十一日に聖武天皇は東国行幸と呼ばれる行動を起こします。平城京を出発し、伊賀、伊勢、美濃、近江、山背を巡歴したのち、恭仁京へと遷都するもので、この中で禾津頓宮には2日滞在しています。この行幸をめぐっては、遷都に際し曾祖父である大海人皇子(天武天皇)が勝利した壬申の乱の行程を追体験したとする意見が、そのひとつとして考えられています。見つかった大型建物の存在は、この行幸が計画的であったことを示すものとしても注目されています。

中村智孝

【おすすめポイント】
この建物は、新しく建てられた高校の地下に保存されています。大型建物があった場所には柱穴を示す標示がなされており、その位置や大きさを知ることができます。ただ、建物が大きいため、人の目線からは少しわかりにくいかもしれません。
そこで、わかりやすいのがインターネットのグーグルマップなどで標示できる航空写真です。これなら、上空から建物の標示を見ることができます。検索のところに、「滋賀県立膳所高等学校」と入力してみてください。大型建物が見えてきましたか?

【周辺のおすすめ情報】
膳所城下町遺跡から東へ450mのところには、膳所城の本丸であった場所が膳所公園として残されています。琵琶湖に張り出した公園からは、水城と呼ばれた膳所城の姿をうかがうことができます。また、近くにある膳所神社をはじめとする町中の神社には、膳所城の城門などの建築物が移築され見学することもできます。
いい匂いのもとであるお店は、「馬杉湖魚店」さんです。琵琶湖の川魚の時雨煮も販売されていますよ。

【アクセス】
車:湖岸道路「本丸町」交差点を西へ400m(駐車場はありません。)
公共機関:京阪電車石坂線膳所本町駅下車 徒歩1分

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